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歴史とその魅力

牛首紬。不思議な名前です。
けれどもこれは日本で最も高品質で、
しかも深い愛情とともに織られた紬の名でもあるのです。

霊峰に咲いた「玉繭・手挽き糸(玉糸)」。

牛首紬の生産地である白山市白峰は、石川県の東南に位置し、福井県勝山市や岐阜県白川村などに隣接した山村で、加賀平野を貫く手取川の水源に位置し、霊峰白山の豊かな自然環境の中にあります。

牛首紬の名前は、明治の初めまで白峰が守護神「牛頭天王(ごずてんのう)」に由来して牛首村と称したことに始まります。母なる白山のふところに抱かれた山里に「玉繭・手挽き糸(玉糸)技法」は生まれ、代々伝えられてきたのです。

800年以上前の落人伝説を源に。

その昔、平治の乱(1159年)で敗れた源氏の落人、大畠某が牛首の地に流れてきた。その妻女が機織りの技に優れ、その技を村の婦女子に伝授した…。

日本有数の豪雪地帯として知られる白峰村一帯は、山間の急峻な地形から農耕に適した平地が極端に少ないことから、古くから養蚕が貴重な現金収入の手立てとして盛んに行われていました。
二匹の蚕が共同でつくる珍しい「玉繭」を利用して織られたのが、牛首紬です。

隆盛を誇るもやがて歴史の彼方へ。

牛首紬の歴史は長く、江戸時代にはすでに全国に出廻っていました。明治の中期から昭和初期までの生産は拡大の一途をたどりますが、折からの経済不況と戦争への突入により、その販路が急速に縮小。本格的な紬生産は姿を消すことになります。

同時に、紬の技術に関する資料は全て廃業の悲しみとともに破棄される、という運命となってしまうのです。けれど、伝統の技術は村人の中に絶えることなく細々ながら保持されていました。

まぼろしの牛首紬、悲願の復活へ。

そして、昭和38年、白峰の地場産業の振興を志した西山鉄之助が桑畑の造成を始め、養蚕を開始。そしてその翌年には紬工場を建設し、土地の多くの人々の辛苦とともに牛首紬の再興に成功。今では日本の代表的な高級紬として広く愛されるようになりました。

牛首紬は、繭を熱湯で煮込んでいるところから直接手で糸を紡ぎ出す、という手法で独特の風合いを創出。「釘抜き紬」と呼ばれるほどの強さも兼ね備えています。

愚直に、ひたすら美の極致を求め。

牛首紬は長年わたり、全生産工程を一貫作業で行うという、全国でも珍しい非効率な方法をとっています。
納得のいく織物を作るために、安易な分業化を選ばなかったのです。各作業に携わる人々が全行程の知識を有しながら働くという環境には、真の意味の効率があるといえるのではないでしょうか。
白山麓の風土と歴史と、人。そのすべてのハーモニーで織られる牛首紬は、着る方に無上の喜びを与える芸術品なのです。

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